この日記は、
出会い・
蜜月につづく、少年アジア! の思い出シリーズ三部作(といってもノンフィクション)最終回です。
これまでのあらすじ:おいしい食堂に通う私であったが、ある日青天の霹靂、店長ブログに閉店のお知らせが…。
それは4月18日、月曜日の夜だった。いつものように「少年アジア!」の店長ブログを見に行ったところ、「4月23日で閉店」と書いてあったのだ。青天の霹靂とは、まさにこのことである。見てすぐ、脳が事実を拒否し「これはエイプリル・フールに違いない。4月だし」と思って、もう一度日付を見た。1日では、なかった。
火曜日、あわててランチタイムに少年アジア! に行った。リアル店舗にはとくに閉店のお知らせはなく、
テイクアウトの客に「またお願いしまーす」と答える店員の方の言葉を聞いた。週末で閉店だなんて、急だ。急過ぎる。
でも、ランチタイムで混み合う店舗のいつも通りの雰囲気に、閉店なんて、何か、悪い夢なんじゃないかと思った。この日は、ホッケンミー(アジア麺)とナシゴレン(アジアチャーハン)のハーフ&ハーフをたのんだ。イートインの席でほおばったそれは、くやしくなるくらいに美味かった。
店長さんもにこやかに接客してくれたが、辞める理由は訊けなかった。
水曜日も少年アジア! で、この曜日の定番ランチ、からあげ丼を食べた。もう、これが食べられなくなるの? なぜ? どうして? 美味しいから、食べていて涙が出そうになる。
木曜日、予約電話が通じなくなっており、売り切れる前にと店舗に駆け込んでランチを食べる。帰りの遅い夫のぶんも予約。夫もこの店が大好きだったから、
「辞める理由なんて、何もない…」「どうして、こんなおいしい店がなくなっちゃうんだろうね」
と話し合った。
言っては悪いが、十年一日で二度と行かないくらい不味い味を提供し続ける飲食店は枚挙にいとまがないのである。こんなに、誰にでも自信を持っておすすめできる、しかも東京や神戸の名店じゃなくてわが町の店が、消えてなくなってしまうなんて。
おおげさじゃなくて、焼津に住む理由がひとつ、それも小さくない理由がひとつ、確かに失われたと思えた。真面目に引っ越したくなった、ここではない、どこかへ(あえなく夫に止められたが)。
おもひでぽろぽろ:特製ストラップを当てた夫。画像は店長ブログより。
金曜日は都合が合わなかったので、最終日である今日、仕事から早く上がった夫とふたりでお店に向かった。
開店前から店の前で待っていようと思ったら、みな思いは同じのようで、開店5分前には駐車場は満車、雨の中傘をさして開店を待つ列ができていた。
「ほら、こんなにみんなに愛されている」
夫が言った。
ドアが開き、店長さんと店員さんが目まぐるしく注文をこなしていく、いつもの見慣れた光景が展開された。だが、もうこれを見ることはない。見ることはできない。まだ注文すらしていないのに、涙がこぼれそうになる。
我々の番が来た。朝準備した、JIMMYのバンドの手作りCDと私の自費出版本(いわゆる同人誌)を「店長さんに」と言って、店員さんに預ける(帰宅してから気づいたが、カードを入れるのを忘れた。まあ、最後にこうしまらないのも我ららしい)。
スタンプカードがいっぱいになり、記念にTシャツをいただいた。グリーン、ライトグリーン、イエローをコンプリートしてしまった。
席に座って待つと、カレーが運ばれてきた。イエローカレーとレッドカレーをたのんだが、やはりとても美味かった。
おもひでその2、Tシャツ(グリーン)を当てた夫。画像は店長ブログより引用。
夫のバンドのTさんも午後1時ころ訪れたが、もはや売り切れだったそうである。最終日になんとしてもと来店した客が多かったのだろう、我々のように。
お店の看板やロゴ、椅子やテーブルの配置まで心づくしの店だった。どういう事情があるかはわからないけれど、ここまで心を砕いて運営してきた店長が畳むと決意したのなら、それはそうなのだろう。店を愛する客よりも、きっと店長がいちばん店を愛していたと思うから。
私たち夫婦は、この店で幾度もすてきな時を過ごさせていただいた。すばらしい料理を提供してくださったことを、とても感謝している。
もうそれが二度と食べられないことは身を切るようにつらいけれど、受け入れるしかないのだと思う。
でも…もし、いつか、また食堂を開店なさることがこの先あるとしたら……私はその店先に必ず並びたいと思うのだ。
村松店長、すてきなごはんをありがとうございました。